助けたい人がいる幸せ
こんにちは😊
日々、教育と心理学について考えているじんぺーです!
前回は、文科省が12月6日に出した教員の残業上限45時間の指針案について記事を書きました。
そして、今回は少し趣向を変えて、ぼく自身の思想、というか大切にしていることを書きたいと思います。
タイトルは「助けたい人がいる幸せ」としました。このタイトルがすべてです!
が、もう少し掘り下げてお話しさせてください!
おじいちゃん、おばあちゃんの話
ぼくのおじいちゃんは5年前くらい、おばあちゃんは3年前くらいに亡くなったのですが、最後の何年かは病院や家のベッドでの生活がほとんどになっていました。
それまでは、ぼくの助けたい!助かってもらいたい!対象はおじいちゃんおばあちゃんでした。
毎日祈ったり、帰省する時も、家に帰るというより、おじいちゃんおばあちゃんのお見舞いに行くのが目的だったりしました。おじいちゃんおばあちゃんに喜んで貰おうと勉強していたところもあります。
つまり、ぼくの原動力はおじいちゃん、おばあちゃんだったのです。
今思えば、それが直接助けることには繋がらなかったとしても、「人を助けたい!」という気持ちがぼくを動かしていたのではないかなあと思います。
おじいちゃんおばあちゃんが亡くなった後、ぼくは「助けたい対象」を失い、力が入っていなかった気がします。
愛媛県宇和島市でのボランティアの話
別の話をします。
今年9月に1週間ほど、愛媛県は宇和島市というところで、西日本豪雨のボランティアを行っていました。
ボランティアはとてもいい経験になりましたが(詳しくは聞いてください!)、そこで出会った人達がまあ面白い人たちばかりでした!
ぼくは1週間ほどそこで生活する中で、いろいろなことを考えました。
そして、「なんでこの人たちはこんなめちゃくちゃアクセスの悪いところに、自分でお金払って自分の時間潰して来てるんだろう?」という謎が1番おもしろく、かつ答えるのが難しかったんです。
ぼくは、「みなさんってほんと変態ですね笑」って言ってたんですが、結局合理的な答えは出ず、
この人たちは「人を助けたい」から来ているんだ!
と思うしかありませんでした。
人を助けることで嬉しくなる、幸せになる、快の感情を持てる、それしかありませんでした。
そして、もっと言えば、
それは誰もが持っている本能的なもので、人間にあらかじめ設計されていることなんじゃないかなあ
って思うんです。
エビデンスはありません笑
(無賃の学校ボランティアをあんなに批判しておいて、これを書いているので、矛盾してるやん、と思うかもしれませんが、あれとこれとは話が違うのです💦 長くなるので省きますが)
人を助ける仕事がしたい
「人を助ける仕事がしたい!」というのは、別にぼくに限らず多くの人が思うことなのではないかなと思います。
そして、ほとんどの仕事が「誰かが助かる仕事」なのではないかとも思っています。
本当は全人類に平等に愛を注げる人間になりたいけど、ぼくはまだまだ未熟なので、やはり身近な人、お世話になっている人を助けたいと思ってしまいます。
それが、ぼくが発信している理由、またTeacher Aideという組織を立ち上げた理由でもあります。
この記事にも書いたように、周りに教員がいなければぼくのモチベーションも今ほど高くありません。
周りにそんな人がいるからこそ、ぼくは動き出せました。
たぶん来年からはかわいい後輩たちも、そんな教員になるわけで、ますますやる気が高まっています。
そして、そんな「助けたい!」と思える人が周りにいるって幸せなことなんじゃないかなあって思うんです。
それは、おじいちゃんおばあちゃんという「助けたい!」と思える対象を見失っていた時期の自分を思い返せば分かります。
「人を助けたい」気持ちはエネルギーになり、生きる意味にもなるとぼくは信じています。
いつもぼくにエネルギーをくれてありがとうございます。
と、こんな感謝を伝えたくて、唐突にこんな記事を書きました。いつも以上に支離滅裂な文章なってしまいました、すみません💦
とりあえず、
これからもよろしくお願いします🙏
みなさんにも「どうしても助けたい!」と思える人いますか?