命が続いていくこと
みなさんこんにちは~
教育と心理学について日々考えておりますじんぺーです。
今日は岩手からこれを書いています~
前回は前田さんのオンラインサロン「メモ魔塾」についてまとめました~
そして、今回は今思っていることをつらーっと書いてみます~
身内に不幸があり、京都に帰ってきたばかりではあったのですが、再度岩手に帰省しているところです。
— じんぺー@Teacher Aide (@hitsuwari5th) 2020年1月8日
様々予定があった方にはご迷惑お掛けしております。。
落ち着いたら、色々な気持ちを言葉にしていきたいなあと思っております〜
おやすみなさい🌛
という事情で岩手に帰って来ているんです。
家の近くに住んでいて、毎日のように顔を合わせていたおばさんなので、悲しいです。
「猫のおばちゃん」と呼ばれていました。昔猫を飼っていたかららしいのですが、ぼくが物心つく頃には既に猫はいなくて、その後は犬を飼っていたんだけど、「猫のおばちゃん」という愛称だけが亡くなるまで残っていました。
でも、お正月に顔を合わせてちょっとだけどお話しできてよかったなあ。それがあったおかげで少し気持ちは落ち着いています。悔いはないというか...
そんな中でぼーっと考えていたことが2つあるので、言語化したいなあと思っております~
本当に個人的な話題で、ごめんなさい。
1.一緒にいた時間の長さが人との繋がりを強くするかもしれない
1つめはこんなことです。
先ほど「おばさん」と書いたのですが、厳密には「おばさん」ではありません。おばあちゃんの妹です。
というわけで、血だけを考えると少し遠い親戚くらいになるのでしょうか。
(この表現でいいのかは分かりませんが..)
ですが、おばさんと一緒に居た時間はとても長く、それは、本当の「おばさん」、というか「叔母さん」よりも長いと思います。
ぼくにとっては、その一緒に居た時間の長さがとっても重要です。
もちろん、時間だけじゃないというのもありますが、それでもとても大事にしていることです。
その時間がぼくと猫のおばちゃんの繋がりを作ってくれました。とても尊くて、ありがたかったなあと思っています。
2.命が続いていくこと
これが一番書きたかったことかもしれません~
猫のおばちゃんとのお別れはもちろん悲しいし、寂しいけど、もう一つ大切にしたい考え方があります。
それが「命が続いていく」ということです。
猫のおばちゃんが亡くなったことが家族のLINEで告げられると、上の兄が、
残念だけど、息子を抱っこさせられてよかった
と呟きました。 令和になったばかりの昨年5月にぼくにも甥っ子ができたのです~
ああ、たぶん人生ってこんな感じ!なんだろうなあ!(感覚的でごめんなさい。)
と思いました。
死やお別れがあるなら、誕生や出会いも同じくらいあるんだろうなあ!と思ったんです。
それなら、なんとか頑張っていけるんじゃないかなって思うんです。
だから、次に繋がって、続いていくためにも今日は猫のおばちゃんとしっかりお別れをしたいなあと思いました。
いろんなこと思い出させてくれて、猫のおばちゃんには最後まで感謝感謝やな~
二人でとった写真とかあるかなあ~